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カマキリダンス ー2022/6/15の夢を分析するー

私はカマキリダンスを踊っていた。多分私は小学3年生。 どういう経緯かは夢なのでよく覚えていないけれど、授業の途中から初めてのクラスに連れて行かれた。

ちょうど、カマキリについてグループで調べ学習をしていたようだ。

先生の指示で女の子(A子さん)が私の所へやってきて、二人で課題に取り組んだ。 課題が終わると、A子さんが何やら踊り始めた。周りを見ると、他にも踊っている子がいる。 そういえば先ほど先生が「終わったグループは、ダンスを踊って待ちましょう。」

と言っていたような気がする。


私も立ち上がり踊り始めたが「もっと楽しくしたいな」という気持ちがムラムラと沸いてきた。

「カマキリカマキリ、どこが好き?」と、踊りながら聞いくと、

A子「カマキリカマキリ、前足の大きい釜が好き。」と返してくれた。 「カマキリカマキリ、お次は何?」と振ると、

A子「カマキリカマキリ、体の色は?」と、問いかけてきた。

突然の無茶振りに、すんなり返してくるとは、なかなか機転のきく子だ。


「カマキリカマキリ、普段は緑。…」

と、ここでA子さんが踊りを止めて座った。

周りも静かになったようなので、私も座って小さな声で

「だけど、茶色…」と言いかけたところで、頭の上で鈴の音がした。

見上げると、先生が鈴を持って立っている。


どうやらこのクラスでは、先生が鈴を鳴らすとみんな座って口を閉じる約束のようだ。

私は、声を出さず「あちゃー、やってしまった!ごめんなさい」と身振りで謝った。


先生は黒板の前へ戻り、こう言った。

先生「今何があったか、みんなも知りたいよね。もう一度やってくれる?」

私たち3人は(次の活動のためか、B子さんも加わっていた。)立ち上がり、

「カマキリカマキリ、お次は何?」

A子「カマキリカマキリ、どこにいる?」って、さっきと違うじゃない!ええい!

「カマキリカマキリ、屋上は?いないよね。カマキリカマキリ、教室は?いないよね。

  カマキリカマキリ、草むらは?どう~?」

A子「大正解!」


ストップがかからないので、カマキリダンスに加わってなかったB子さんに

「カマキリカマキリ、お次は何?」いきなり振らて、

B子「カマキリカマキリ… きつねは…」と戸惑い顔。

先生「はい、ありがとう。」と即座に止めた。B子さんへの助け船でもあっただろう。


先生が黒板に「楽しく学ぶ」と書いたところで目が覚めた。



ああ、素晴らしい先生だなあ。と素直に思った。


私は、できた子から静かに前へ向いて待つように指示していたけれど、同じ姿勢を続けるのは、退屈だし肩も凝る。 その上まわりがシーンとして注目されるのは、いつまでも課題の終わらない子にはプレッシャーが大きい。


その点、終わったら立ち上がって踊るというのは、体をほぐすことができ、終わっていない子も注目されないので、プレッシャーを感じにくいだろう。

先生は座っている子に助け船を出しに行けばいいし、無理に全員終わらなくても鈴を鳴らして次の課題に進むことができる。時間配分を考えた授業ができるというわけだ。


鈴の小さい音が聞こえたら座るというのも素晴らしい。

聞こえた子から動きを止めて座っていく。

音に気づかなくても、みんなの動きが止まったことで周りの子も気づいていく。

小さな鈴の音に耳を傾けることで、自然と「聴こう」とする態度や姿勢ができる。

これなら、声の小さな子も発言しやすい雰囲気ができあがる。

なぜ、この方法に気づかなかったのだろう。


もっと素晴らしいのは、私の奇行の意味を瞬時に理解し、みんなに紹介したことだ。

ただ指示されたとおりにするのではなく、もっと楽しい方法を自分で見つけていくことの大切さを知らせようとしたのだと思う。


いったん止めることは必要だ。約束事がないと授業は成立しない。

ただ、それだけでは私は「注意された子」という目で見られ、悲しい気持ちになるだろう。

おもしろい方法は広がらず、注意されまいと周りの子たちまで萎縮していく。

注意されて白い目で見られないようにということばかり気にしていたのでは、自ら学ぼうとする意欲にあふれた楽しい授業など望むべくもない。


こんなことをしていると授業時間に食い込んでしまうのだが、こういう好機を捕らえての指導時間の使い方は断然有効だ。


突然クラスの仲間入りをした私は「注意される子」ではなく、「アイデアマン」として、羨望の目でクラスに迎えられる。

次の活動から、周りの子も「もっと楽しくて有効な学び方はないか」と、進んで工夫するようになるので、自然と授業の進み具合も早まり、私の奇行を取り上げた時間の遅れくらいは、あっという間に取り戻せるだろう。


私の夢なのだから、私の潜在的なアイデアだといえるかもしれない。

しかし、果たして本当に私が潜在意識の中でそこまで考えていただろうか。

同じような経験を重ねてきた人のアイデアが「形の場」を作り、外の刺激から解放された脳に「夢」という形で現れたのではないかという気がする。


「本当の評価は100年経たなければ分らない。」とは俳人 夏井いつきさんの言だが、100年後、シェルドレイクの仮説は定説になっていると予言したい。


参考文献

喰代栄一 『なぜそれは起こるのか : 過去に共鳴する現在 シェルドレイクの仮説をめぐって』サンマーク出版、1996年






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